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アメリカの西進を支えた「明白な使命」とは何か?

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テキサスの独立

メキシコがスペインから独立した 1821 年の時点において、カリフォルニアからテキサスへ至る領域はすべてメキシコ領でした。ただ、その広大な地に住むのは米国先住民と 2,000 人程度のメキシコ人のみ。無人の荒野と言える地域に居住者を引き入れることは、メキシコ政府にとっての大きな課題でした。そこで、米国からの入植者を積極的に受け入れるようになると、綿花栽培などを目的に、米国人がテキサスへ入植し始めます。

独立時のメキシコの領土
図:独立時のメキシコの領土

テキサスへの入植者が増加し、米国人の人口がメキシコ人を圧倒するようになると、彼らはメキシコ政府に対してテキサスの自治を要求するようになります。並行して米国政府はメキシコにテキサスの購入を持ちかけますが、メキシコ政府はこれを拒絶。米国による膨張主義への警戒心を高めたメキシコ政府がテキサスへの入植を禁じるとともに既存の入植者への弾圧を強める中、反発した米国人住民がテキサスの独立を主張し、これがテキサス革命(Texas Revolution, 1835~1836)へと発展します。

アラモ砦
図:アラモ砦

その中で起きたアラモの戦い(Battle of the Alamo, 1836)は特に有名です。テキサス独立派の約 200 人がアラモ砦で数千人のメキシコ軍と戦って全滅したことで、独立派は「リメンバー・アラモ(remember the Alamo)」を合言葉に奮い立ちます。最終的にテキサス独立派が勝利し、1836 年にテキサス共和国(Republic of Texas)の独立を宣言します。

余談ですが、国家が戦争に踏み切る際、国民的高揚を図るためにスローガンを活用するのはよくあることです。米国に限って言えば、この「リメンバー・アラモ」の他にも、19 世紀末の対スペイン戦争で使われた「リメンバー・メイン」、第 1 次世界大戦で使われた「リメンバー・ルシタニア」、そして第 2 次世界大戦で使われた「リメンバー・パールハーバー」などがあります。記憶に新しいところでは、同時多発テロの後に「リメンバー・9/11」が叫ばれました。

 

米国によるテキサス併合

独立からしばらくの間、テキサスは独立共和国としての立場を維持します。ただ、米国は野心を持っています。テキサスをとりあえず独立させ、機会を伺って自国の領土に組み込む算段です。テキサス独立から約 10 年後の 1845 年、テキサス併合と西方拡大を綱領として掲げるポーク(James Knowx Polk)が第 11 第米国大統領に就任すると、テキサス問題が再び動き始めます。米国はテキサス議会に併合を提案しました。

ポーク大統領
図:ポーク大統領

メキシコ政府はテキサスの独立や米国による併合を承認するつもりはありませんが、国内の反政府運動が深刻で、テキサス問題への対応が後手に回ってしまいます。頼みの綱は、当時の大国イギリスとフランスです。両国はテキサスの綿花に興味を持っていたため、米国によるテキサス併合を望みません。そこで両国はテキサス政府に対し、米国連邦に加盟しないという条件のもとで、テキサスの独立をメキシコが承認するという協定への調印を求めます。

米国案と英仏案に直面したテキサス政府ですが、1845年、満場一致でアメリカ案を採択します。こうしてテキサスは米国に併合されることとなりました。当然、メキシコ人はこの結果に不服であり、国内では反政府運動がさらに激化します。

 

メキシコ・アメリカ戦争

ポーク大統領の強硬姿勢は止まりません。メキシコに対してテキサス領の拡大を要求するとともに、カリフォルニアとニューメキシコの購入を提案します。軍を配備してメキシコを威圧し、戦争も辞さない勢いです。

メキシコ政府は米国との有事に備え、イギリスに軍事援助を要請します。米国とイギリスはオレゴン(Oregon)を巡って激しく争っており、武力衝突の可能性も否定できないほど緊張感が高まっていたため、イギリスの軍事援助は十分あり得る話でした。軍事衝突が起こればメキシコはイギリスと連合軍を結成し、米国を挟み撃ちにできます。これに対し、メキシコとイギリスを相手とする同時開戦を避けたい米国は、1846 年、イギリスとの間にオレゴン条約(Oregon Treaty)を結び、オレゴンの国境を策定します。これにより米英関係は急速に改善し、メキシコがイギリスから軍事援助を受けられる可能性はなくなりました。

イギリスという憂いがなくなった米国は、メキシコに対する威圧を強めます。国境が策定していないことを口実に米国がメキシコ領内に軍を配置する中、1846 年にメキシコ軍の反撃で米兵が死傷すると、ポーク大統領は「メキシコ兵が我が国の領土を侵犯し、我が国の仲間の血を流させた」と主張してメキシコに宣戦布告。こうしてメキシコ・アメリカ戦争(Mexican-American War)が始まります。この戦争は日本で米墨戦争(べいぼくせんそう)とも呼ばれていますが、「墨(ぼく)」の字は「メキシコ」の漢字表記である「墨西哥」に由来します。アメリカ側からはメキシコ戦争(Mexican War)とも呼ばれています。

メキシコ・アメリカ戦争後の米国の領土
図:メキシコ・アメリカ戦争後の米国の領土

戦闘は米軍の圧倒的優位のもとで展開します。米国はカリフォルニアやニューメキシコなどを占領し、最終的にはメキシコの中心部まで攻め落とします。1847 年のグアダルーペ・イダルゴ条約(Treaty of Guadalupe Hidalgo)で戦争は終結し、米国はカリフォルニアだけでなく、現在のネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドの土地を手に入れました。メキシコは国土の 3 分の 1 を失います。こうして米国は、太平洋岸に至る西進を完了しました。

 

「明白な使命(マニフェスト・デスティニー)」とは?

こうした一連の流れは米国による侵略です。ただ、植民地主義が各国の行動原理であった時代背景を考えると、米国のこうした行動は、当時の常識からはそれほど逸脱していません。とは言え、米国は選挙によって政治家が選ばれる国。たとえ政治家や実業家が欲していても、多数の人々の支持がなければ、テキサスの併合やメキシコ戦争に踏み切ることはできません。戦争に踏み切り、そして勝つためには国民を納得させる大義とストーリーが必要です。

米国の国内にも、テキサスの併合やメキシコ戦争に反対する人々がいました。メキシコ戦争では数百人のカトリック教徒が米国から逃れ、メキシコ側で参戦しています。また、後の大統領であるエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)は 1846 年にイリノイ州から連邦議会下院議員に選出されましたが、彼はメキシコ戦争に際し、ポーク大統領の強硬な手法や戦争そのものへの反対演説を行っています。しかし、議会はこれを無視し、メディアや国民は彼を批判しました。多くの米国人は、太平洋に至るまで西進することが米国の「明白な使命(Manifest Destiny)」であると主張し、テキサス併合やメキシコ戦争を支持していたのです。

ジョン・オサリヴァン
図:ジョン・オサリヴァン

「明白な使命」とは、米国による西方への領土拡張を正当化するために使われたスローガンです。1845 年、米国のコラムニストであるジョン・オサリヴァン(John L. O’Sullivan)がテキサス併合を支持する文脈で使ったのが初出です。オレゴンをめぐって米国がイギリスと争っていた際に、オサリヴァンは再びこのスローガンを利用します。

(オレゴン・カントリーの領有は)神の摂理で偉大な自由の実験の発展のために我々に与えられ、連邦の自治政府が我々に信託したこの大陸全体に広がり、所有するために、我々の明白な使命の権利によるものである。

以降、このスローガンは国内で流行語になります。米国の領土拡張が「神から与えられた使命」であるとはどういうことでしょうか。また、現代の私たちには荒唐無稽に聞こえるこのスローガンが、当時、多くの米国人の心に刺さったのはなぜでしょうか。これらの問いに答えるためには、米国の歴史や、国の成り立ちにまで遡って考える必要があります。

 

アメリカ社会の中核となったイングランドからの移民

米国は移民の国ですが、最初にやってきたのはイギリス系の白人です。彼らは後に WASP(ホワイト・アングロ-サクソン・プロテスタント)と呼ばれ、米国社会の中核となります。イギリス出身の彼らは英語を話すため、今でも米国の公用語は英語です。

もともと住んでいた国を離れ、遠方の新たな国で生活をイチから始めることは非常にリスクが高く、ストレスとエネルギーを要する決断です。それにも関わらず移民になるのですから、母国に留まることができない深刻な事情があります。

産業革命
図:産業革命

一つは貧困問題です。実際、米国に移民したイギリス人の多くは、失業した都市部の労働者や地方の小作人でした。イギリスで産業革命(Industrial Revolution)が起こり生産手段の機械化が進むと、都市では熟練工が職を失い、多くの賃金労働者が生み出されます。周辺の農村地帯から職を求めて都市に出てくる人が増加し、失業者が発生しました。当時は労働者を守る法律や社会保障が整備されておらず、都市住民は過酷な環境で暮らさざるを得ません。機械設備を購入するためには多額の資本が必要なため、工場や土地を持つ資本家と、それを持たない賃金労働者の経済格差は広がるばかり。貧困に苦しむ都市住民や土地を持たない貧しい農民は、新天地を米国に求めました。米国に渡った彼らは、大自然の脅威や先住民からの反撃に耐えながら、西部を開拓していきます。

移民を促すもう一つの要因は政治問題です。政治や思想、宗教的理由により母国で迫害された人々が、新天地を求めて外国へ移民するケースです。米国に移民したピューリタン(Puritan)もしくは清教徒(Puritan)と呼ばれる人たちが、このカテゴリーに属します。

キリスト教(Christianity)はもともと厳格な一神教であり、イエス(Jesus)を神と同一視し、それ以外のものを崇拝することを禁じました。しかし、多神教世界であるローマ帝国(Roman Empire)がキリスト教を国教として以降、キリスト教にも多神教の影響が入り込み、民衆が信仰している場所に教会(church)を建てたり、キリストの弟子を聖人(saint)として崇拝するようになります。さらには、イエスの弟子であるペテロ(Saint Peter)を埋葬したローマが聖地となり、ローマ教会の指導者である教皇(The Pope)が「神の代理人(God’s agent)」を称するようになりました。こうしてできたのがローマ・カトリック教会(Roman Catholic Church)です。14 世紀の頃には、教会は金儲けのために免罪符(indulgence)を信者に売りつけて、「善行を積まなくてもお金さえ積めば救われる」などという、本来の教義にもとることさえも行うようになります。これに対して 16 世紀に起きたのが宗教改革(Protestant Reformation)です。ルター(Martin Luther)やカルヴァン(Jean Calvin)は、キリスト教を本来の姿に戻すべきであると主張しました。つまり、キリスト教信仰は聖書のみによるべきであり、聖人信仰や、教皇が神の代理人であることなどはすべて偽りであるいう主張です。こうして生まれたのがプロテスタント(Protestantism)です。

Robert W. Weir (photograph courtesy Architect of the Capitol) [Public domain]
図:Robert W. Weir (photograph courtesy Architect of the Capitol) [Public domain]
ピューリタンはイギリスにおけるプロテスタントの一派であり、勤労と祈りを大切にし、キリスト教を清浄化(ピュリファイ)しようとする人々です。イギリスの教会はもともとローマ・カトリック教会の一部でしたが、16 世紀にローマ法王とイングランド国王の間に起きた政治的問題が原因で、イングランド国王を首長とするイングランド国教会(Church of England)として独立します。ただ、国教会はローマ・カトリック教会の教義までは否定しなかったため、ピューリタンは国教会を批判し、国王と対立するようになります。対立は内戦と革命にまで発展し、1649 年には国王チャールズ 1 世を処刑してしまいます(ピューリタン革命, Puritan Revolution)。ピューリタンたちは君主制を排して共和制を採用しますが、厳格なモラルを強制したため人々に疎んじられ、間もなく政権を追われます。こうしてイギリスから追われたピューリタンたちは新天地をアメリカに求めます。

 

「異教徒は虐殺しても構わない」というキリスト教の論理

ピューリタンたちはイギリスで果たせなかった理想国家の実現を、アメリカで果たそうとします。繰り返しになりますが、彼らは聖書だけを認めるキリスト教原理主義者です。

旧約聖書の中に出エジプト記(Exodus)という書があります。エジプトの奴隷になった古代イスラエルの民を救うため、神はモーセ(Moses)という男を指導者に選び、彼らをエジプトから脱出させるという話です。エジプト脱出後、イスラエルの民はカナン(Canann)の地を目指します。カナンの地とはいわゆるパレスチナのことです。旧約聖書の創世記(Genesis)によると、神はイスラエルの民に対して、カナンの地を与えると約束したとされています。そこで、エジプトを逃れたイスラエルの民は約束の地(Promised Land)であるカナンを目指します。

The Victory of Joshua over the Amalekites, Nicolas Poussin [Public domain]
図:The Victory of Joshua over the Amalekites, Nicolas Poussin [Public domain]
現在では荒野の印象が強いパレスチナですが、当時は「乳と密の流れる地」と呼ばれるほど豊かな土地であり、そこにはすでに異教徒が住んでいました。イスラエルの民が「ここは私たちが神様からもらった土地だ」と言ったところで譲ってくれるはずもなく、戦争になります。イスラエルの民はカナンの地を占領し、先住民をひとりも残さず虐殺します。本来、自分たちが虐殺に手を染めたことは歴史の汚点として隠したくなりそうなものですが、旧約聖書のヨシュア記(Book of Joshua)にはそのことが堂々と記されています。

彼らは剣をもって、その中のすべての人を撃ち、ことごとくそれを滅ぼし、息のあるものは、ひとりも残さなかった。そして火をもってハゾルを焼いた。ヨシュアはこれらの王たちのすべての町々、およびその諸王を取り、剣をもって、これを撃ち、ことごとく滅ぼした。主のしもべモーセが命じたとおりであった。

彼らが誇らしげなのは、自分たちが神の言葉にしたがって虐殺を行ったという自負があるからです。また、同じく旧約聖書の申命記(Book of Deuteronomy)には以下の記述があります。

あなたの神、主が嗣業として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。

つまり、旧約聖書を聖典とするユダヤ教やキリスト教では、異教徒の虐殺は正義とされます。キリスト教は神と隣人への愛を説く宗教ですが、その隣人とは同じキリスト教徒に限定されます。同じ神を信じない異教徒は人間ではなく、彼らを虐殺しても、それは聖書の教えとは矛盾しません。

信仰は聖書のみによるべきであるとするピューリタンにとっても同様です。イングランドを追われ、アメリカに移住してきた彼らにとって、アメリカはカナーンの地として映ります。オサリヴァンによる「明白な使命」を以下に再び引用しますが、これはまるで旧約聖書の一説のようです。

(オレゴン・カントリーの領有は)神の摂理で偉大な自由の実験の発展のために我々に与えられ、連邦の自治政府が我々に信託したこの大陸全体に広がり、所有するために、我々の明白な使命の権利によるものである。

カナーンの地であるアメリカに理想国家を建設するためには、異民族である先住民を虐殺しても、黒人を奴隷にしても、信仰によって正当化されます。また、メキシコはカトリック教徒のスペイン人がアステカ王国を征服し、先住民と混血して生まれてできた国。キリスト教を清浄化しようとするピューリタンにとって、メキシコは汚れた国であり、侵略は正当化されます。

ただ、当初の移民グループの中においてさえ、ピューリタンは多数派ではありませんでした。移民の中にはピューリタンの他にも、商人や、先ほど述べた労働者など多くの人々がいました。彼らはピューリタンの原理主義的な考え方を受け入れたのでしょうか。後に「明白な使命」というスローガンが国家規模で広がりを見せたことから察する限り、ピューリタン的思想は米国社会に相当の影響を与えたと考えられます。

その理由としては様々なことが考えられます。まず、移民は様々な事情で母国を去った人たちです。母国にいれば歴史や文化、伝統があり、共同体の中で暮らすことができますが、移民先の米国には心の拠り所となるべきものが一切存在しません。また、西部開拓では大自然や先住民の脅威に耐えながら、国家や他人の助けがない中、自分や家族の命は自身で守る必要がありました。こうした過酷な環境において、心の拠り所になったのがキリスト教であり、聖書の教えであり、教会を通じた人々の繋がりでした。ピューリタンと開拓民の間には、ともに祖国を去り、新たな新天地を切り開いていく者としての連帯意識が芽生えていたかもしれません。また、ピューリタンの勤労と祈りを尊ぶ態度、自主自立の精神は、開拓民にとって模範になったとも考えられます。

 

米国は今でも宗教国家

聖書だけを認めるキリスト教原理主義は、現代のアメリカにおいても形を変えて力強く生き続けています。彼らは宗教的には福音派(Evangelical)、政治的には宗教右派(Religious right)と呼ばれ、中西部から南東部にかけて広がるバイブル・ベルト(Bible belt)と呼ばれる地域に分布しています。米国において人口の約 25 % を占める最大の宗教勢力です。

米国には、神が人間を造ったという聖書の教えに反するからという理由で、人類がサルから進化したという進化論を教えない学校もあります。1980 年に共和党の強力な支持基盤となって以降、宗教右派は票田として政治的重要性を確立しました。2016 年の大統領選では福音派の 81 % がトランプ氏に投票したとされています。彼らは妊娠中絶や同性愛、体外受精などをキリスト教の教えに背くものとして反対しており、大統領選挙においてもこれらの問題は大きな争点として取り上げられます。福音派や宗教右派については、別の機会に改めて取り上げたいと思います。

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