『後漢書』と奴国王:金印が語る最初の外交と政治

『後漢書』に記された奴国王の遣使と「漢委奴国王」の金印をもとに、後漢と倭の外交関係を解説します。朝貢・冊封制度の仕組みや金印の政治的意味、奴国の位置、考古学的発見、金印偽物説まで、東アジア世界の中での倭の姿をわかりやすく解説します。

はじめに

前回は『漢書』地理志を手がかりに、紀元前後の倭人社会が「百余国」と呼ばれる多数の政治勢力に分かれていたことを見ました。しかし、『漢書』には、それらの国々の名前や王の名前はほとんど記されていません。

そのような状況が変わるのが、西暦57年です。中国の歴史書『後漢書』には奴国(なこく)という国と、その王が後漢へ使者を送り、皇帝から金印を授かったことが記されています。これは、日本列島の政治勢力が初めて固有名をもって歴史の舞台に登場した出来事でした。

この金印は単なる珍しい宝物ではありません。なぜ中国皇帝は外国の王へ印を授けたのでしょうか。そして、奴国王はその印をどのように利用したのでしょうか。本稿では『後漢書』の記事と考古学資料をもとに、奴国王と東アジア外交の意味を考えます。

 

『後漢書』とは何か

『後漢書』は、中国の後漢王朝(25〜220年)の歴史を記した正史です。5世紀前半、南朝宋の歴史家・范曄(はんよう)によって編纂されました。成立年代は、記されている出来事から数百年後ですが、当時利用できた公文書や歴史資料をもとに編纂されており、中国の正史として高く評価されています。日本古代史にとっても『漢書』や『三国志』などと並ぶ重要な史料です。

『後漢書』の中の東夷伝には次のような記事があります。

建武中元二年、倭奴国奉貢朝賀。使人自称大夫。倭国之極南界也。光武賜以印綬。

一般には、以下のように訳されています。

建武中元二年(西暦57年)、倭の奴国が貢物を献じて朝賀した。使者は自らを大夫と称した。奴国は倭国の最も南の境界にある国であった。光武帝は印綬を授けた。

この記事はわずか数十文字ですが、日本古代史において極めて重要な意味を持っています。ここでは初めて「奴国」という具体的な国名が現れ、「王」が後漢皇帝と外交を行ったことが記録されているからです。

 

奴国とはどのような国だったのか

現在では、奴国は北部九州、現在の福岡市・春日市・大野城市周辺に存在したと考えられています。その周辺では、須玖岡本遺跡、比恵・那珂遺跡群、板付遺跡など、大規模な弥生時代の遺跡が発見されています。これらの遺跡からは、中国鏡、ガラス製品、鉄器などが多数出土しており、大陸との活発な交流を物語っています。

もっとも、「この遺跡が奴国の王宮だった」と断定できるわけではありません。しかし、博多湾を望む北部九州には、大陸との交易を背景として発展した有力な政治勢力が存在したことは確かです。奴国も、そのような勢力の一つだったと考えられます。

 

朝貢と冊封―東アジアの外交秩序

奴国王が後漢へ使者を送った背景を理解するためには、当時の東アジア外交を知る必要があります。

図:冊封体制
図:冊封体制

中国皇帝は、自らを天下の中心と考え、周辺諸国の君主は使者を送り、貢物を献じるという外交秩序が形成されていました。これを一般に朝貢(ちょうこう)と呼びます。朝貢という言葉だけを見ると、一方的に貢物を差し出す制度のように思えます。しかし、実際には外交・交易・儀礼が一体となった制度でした。

使者を送った国は、皇帝から返礼品を受け取り、中国との正式な外交関係を築くことができました。さらに皇帝は、その国の君主を正式な王として認め、印や印綬を授けることがありました。これを冊封(さくほう)と呼びます。奴国王が受け取った金印も、この冊封の一環として授けられたものと考えられています。

ただし、ここで注意しなければならないことがあります。冊封は、現代の軍事同盟とは異なります。奴国王が金印を受け取ったからといって、「奴国が攻撃されたら後漢軍が救援に来る」という意味ではありません。そのような約束があったことを示す史料は存在しません。

 

なぜ金印は政治的な力になったのか

金印は王の身分を証明する印章です。現在、福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王」の金印は、1784年に福岡市志賀島で発見されました。印面には「漢委奴国王」の五文字が刻まれています。

図:金印
図:金印

金印を与えられることは単なる名誉ではありません。印章は外交文書を認証する実用品でもあり、王としての地位を公式に示す道具でもありました。つまり金印は、「私は後漢皇帝から正式に認められた奴国王である」ということを示す証拠です。

では、なぜ金印を受け取ることが政治的な意味を持ったのでしょうか。重要なのは、金印そのものではありません。より重要なのは、後漢と外交できる能力でした。後漢へ使者を送るためには、船を建造する技術、海上交通の知識、朝鮮半島との交流、貢物を集める経済力、外交使節を組織する政治力などが必要です。つまり、金印は「奴国王には海外外交を実現する能力がある」ことを目に見える形で示す証でした。

さらに、大陸との交流によって、鉄器、中国鏡、ガラス製品、新しい技術、東アジアの情報などを手に入れることができました。これらを周辺の首長へ分け与えれば、奴国王は協力者を増やすことができます。また、大陸との交易路を掌握することは、経済的な利益にもつながります。つまり、

  1. 外交
  2. 海外との交流
  3. 物資・情報の獲得
  4. 周辺勢力との関係強化
  5. 政治力の向上

という流れが考えられます。もちろん、これは史料から直接確認できる事実ではなく、考古学や当時の社会構造を踏まえた推論です。しかし、現実の政治を考えるならば、外交によって得た物資や情報、人脈が権力の源泉になったと考えることは十分に合理的です。

 

奴国王は中国皇帝の権威を利用したのか

奴国の人々は、中国皇帝がどれほど偉大な存在なのかを知っていたのでしょうか。一般の人々まで後漢の制度を理解していたとは考えにくいでしょう。しかし、奴国王やその側近、外交使節、交易に関わる人々は、中国や朝鮮半島について相当の知識を持っていた可能性があります。

また、一般の人々が後漢の政治制度を知らなくても、王が海の向こうの大国へ使者を送ったこと、金の印を持ち帰ったこと、中国鏡や鉄器などの珍しい品を持ち帰ったこと、などは十分に理解できたはずです。

つまり、中国皇帝そのものを崇拝していたかどうかではなく、海外との交流を成功させる王として奴国王の評価が高まった可能性があります。重要なのは、抽象的な権威ではなく、外交によって実際に利益をもたらす能力です。

 

なぜ奴国だったのか

『後漢書』には、西暦57年に奴国王が後漢へ使者を送り、光武帝から金印を授かったことが記されています。ここで一つ疑問が生まれます。なぜ、百余国の中で奴国だったのでしょうか。残念ながら、その理由を直接説明する史料は残されていません。しかし、当時の地理や考古学資料を踏まえると、いくつかの理由を考えることができます。

図:東アジア外交ルート
図:東アジア外交ルート

まず挙げられるのが、地理的な条件です。奴国があったと考えられる北部九州は、日本列島の中でも朝鮮半島に最も近い地域でした。博多湾は天然の良港であり、古くから大陸との交流拠点として利用されていました。海を渡って楽浪郡へ向かうためには、この地域を経由することが最も合理的だったと考えられます。

次に重要なのが、交易の集積地だった可能性です。考古学調査では、この地域から中国鏡、ガラス製品、鉄器など、大陸との交流を示す遺物が数多く出土しています。これらは北部九州が東アジア交易の重要な窓口であったことを示しています。

また、奴国には海外との外交を担うだけの政治組織も存在していたと考えられます。使節を派遣するためには、船舶を準備すること、航海技術を持つ人々を集めること、貢物を調達すること、外交を担当する使者を育成することなど、多くの準備が必要です。つまり、奴国は単に海に近かっただけではなく、海外との交流を継続的に行える政治的・経済的な基盤を備えていた可能性があります。

もっとも、「奴国が倭全体を支配していた」ということまでは、この史料からは分かりません。西暦57年の時点では、百余国の中の一つである奴国が、後漢との外交に成功したことが確認できるにとどまります。

 

考古学から見た奴国

北部九州では、中国との交流を示す多くの遺物が発見されています。有力者の墓からは、中国鏡、ガラス製品、鉄器、青銅器などが出土しています。また、墓の規模や副葬品には大きな差があり、当時すでに有力な首長層が存在していたことが分かります。

図:中国鏡・鉄器・ガラス玉
図:中国鏡・鉄器・ガラス玉

これらの考古学資料は、『後漢書』の記事とよく対応しています。つまり、中国史書に登場する奴国王は、考古学が示す北部九州の有力首長層の一人だった可能性があります。もちろん、「この墓が奴国王の墓である」と断定することはできません。しかし、中国史書と考古学資料を組み合わせることで、当時の社会をより具体的に復元できるようになります。

 

金印は本物なのか

現在、福岡市博物館に所蔵されている「漢委奴国王」の金印は、1784年に志賀島で発見されました。しかし、その発見状況には現代の発掘調査のような詳細な記録が残されていないため、発見当初から「本当に後漢時代の金印なのか」という議論が繰り返されてきました。

偽物説が唱えられる理由としては、

  • 発見状況を直接確認した考古学的記録が存在しないこと
  • 『後漢書』の記事と金印の内容があまりにもよく一致していること
  • 江戸時代にも中国古典や印章に詳しい学者が存在したこと

などが挙げられます。

一方、本物説を支持する根拠も数多くあります。まず、金印の印文、書体、蛇鈕(つまみ)の形式、寸法、重量、金属成分、製作技術などは、中国後漢時代の官印の特徴とよく一致しています。また、金印に刻まれた「委」の字は「倭」の異体字と考えられており、中国古代の文字使用とも矛盾しません。さらに、もし江戸時代に偽造されたとするならば、高純度の金を用意し、後漢時代の印章制度や篆書の特徴を正確に再現し、発見の経緯まで含めて巧妙に演出したことになります。しかし、そのような計画を裏付ける文書や証言、金銭の動きを示す証拠は今日まで発見されていません。

もちろん、科学的調査だけで「西暦57年に作られた」と直接証明することはできません。また、志賀島で発見されたという伝承が完全に正しいかどうかについても、なお議論の余地があります。しかし現在では、考古学、歴史学、金属学などの研究成果を総合すると、金印そのものは後漢時代に製作され、光武帝が奴国王へ授けた印である可能性が極めて高いと考えるのが一般的な見解です。

歴史学では「疑問が残ること」と「従来説を否定すること」は同じではありません。新しい説を採用するためには、それまでの説よりも多くの事実を、より少ない仮定で説明できることが求められます。金印を江戸時代の偽作と考えるためには、多数の追加的な仮定が必要となる一方、それを裏付ける決定的な証拠は見つかっていません。このため、現時点では本物説を採るのが最も合理的だと考えられています。

 

この史料から分かること・分からないこと

『後漢書』の記事から確実に分かることは多くありません。しかし、その少ない情報は非常に重要です。

  1. 分かること
    • 西暦57年に奴国という国が存在したこと。
    • 奴国王が後漢へ使者を送ったこと。
    • 光武帝が印綬を授けたこと。
    • 奴国には「大夫」と呼ばれる使者を派遣できる政治組織があったこと。
  2. 分からないこと
    • 奴国の正確な位置や支配範囲
    • 人口
    • 他の国との関係
    • 奴国王の名前
    • 金印が国内でどのように利用されたか
    • 奴国が百余国の中でどれほど強大だったのか

 

おわりに―百余国の中から姿を現した奴国

『漢書』地理志が描いた百余国の世界では、それぞれの国はまだ名前を持たない存在でした。しかし、西暦57年になると、その中の一つである奴国が歴史の表舞台へ姿を現します。

奴国王は、海を渡って後漢と外交を行い、金印を授けられました。その意味は、中国の軍事力を後ろ盾として得たことではありません。むしろ、海外との交流を実現できる政治力、経済力、航海技術、情報力を備えた王であったことを示していたと考えられます。こうした外交は、後に倭国王帥升、さらに卑弥呼へと受け継がれていきます。日本列島の政治勢力は、東アジア世界との交流を通じて、少しずつその規模と影響力を拡大していったのです。

 

演習問題

問題(朝貢と冊封)
朝貢と冊封について説明してください。また、この二つの制度が現代の軍事同盟とはどのように異なるか述べてください。

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問題(金印の意味)
後漢皇帝が奴国王へ金印を授けたことは、なぜ政治的に重要だったと考えられるのでしょうか。次の語句を用いて説明してください。\begin{equation*}
\text{外交, 情報, 交易, 希少品}
\end{equation*}
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問題(発展問題)
もしあなたが西暦57年頃の北部九州に住む別の国の首長だったとします。奴国王が後漢皇帝から金印を授かったという知らせを聞いたとき、あなたはどのように行動すると考えられますか。その理由も含めて200字程度で述べてください。

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