国家観の3類型
「国家」の実態は時代や地域によって変遷しますが、いずれにも共通する点は、「ある地域の内部において、そこに住む人々に優越する力を持つ組織である」という点です。では、なぜ人々は国家を形成するのでしょうか。これに対する説明体系として、大きく分けて以下の3つが存在します。
1つ目は、人間が自身の生存をより容易にし、また、よりよい生活を実現しようとした結果、国家がおのずと形成されたという考え方です。アリストテレスのポリス論が代表的です。
2つ目は、自分勝手な人間たちを何らかの秩序のもとで生活させるために、強制装置として国家が作られたという考え方です。マキアヴェッリの権力国家観が代表的です。
3つ目は、人間たちが何らかの目標を果たすために契約によって国家を意図的に形成したという考え方です。これはホッブスやロック、ルソーらの社会契約説です。
今回はアリストテレスのポリス論について解説します。
人間は生存と繁栄のために共同体を形成する
アリストテレスによると、人間は孤立して生きることは困難であり、集団生活の中で他者と協力することを通じてはじめて生存や繁栄を実現できる存在であるため、人間は生まれながらに個人を超えた家族、さらには村やポリス(都市国家)を形成する性向を持ちます。つまり、人間は生存や繁栄という本能的な衝動に突き動かされて、自然と共同体を形成するようになるということです。この点において、人間は他の動物と同様です。実際、人とは異なる動物も群れを形成します。

人間は言語を用いてより善い生を生きるための共同体を形成する
人間が他の動物と異なるのは言語(logos)を使うという点にあります。言語を持たない動物もまた「喜び」や「痛み」などの本能的な感情を表現できますが、人間の言語はより複雑で抽象的な概念を伝える力があります。
アリストテレスによると、人々が共同体を形成する目的は単なる生存のためだけではなく、人々が「善く生きる」こと、すなわち個人が道徳的に向上し幸福を実現するために必要な環境を整えることにあります。つまり、人間は各々が自分勝手に生きるのではなく、言語を用いて「正義」や「友情」などの抽象的な概念について議論し、これらの徳目に関する合意を形成することで共同体のルールや価値観が形成され、それが秩序や調和を生み出し、人間がより善く生きる社会が作り出されるということです。

共同体主義者としてのアリストテレス
アリストテレスは、人が共同体から離れて徳を追求することには限界があり、真の徳は共同体の中で追求し、発揮されるべきであると考えました。実際、アリストテレスが重視する「正義」や「友情」などの徳目は、他者との関係や社会的な状況の中で実践されるものです。
ゆえに、共同体(ポリス)は個人に先だって存在するものであり、共同体から切り離された個人など存在し得ないとアリストテレスは考えます。このような意味において、アリストテレスは個人の自由や権利よりも共同体の価値や義務、共通の善を重視する共同体主義(communitarianism)の立場の人でした。

アリストテレスによる政治体制の評価基準と分類
アリストテレスによれば、それぞれのポリスには独自の政体が存在します。ポリスにおいて1人が支配する体制が王制であり、少数者が支配する体制が貴族制であり、多数者が支配する体制が共和制です。支配者の人数に関わらず、最善の人間によって治められるのであれば、これら3種類はいずれも良い政体とみなされます。
一方、いずれの政体においても、支配者が自分の利益を優先するのであれば、良い政体であったものが悪い政体へ転落します。具体的には、王政が転落すると僭主制になり、貴族制が転落すると寡頭制になり、共和制が転落すると民主制になります。
$$\begin{array}{cc}
良い政体 & 悪い政体 \\ \hline
王制 & 僭主制 \\
貴族制 & 寡頭制 \\
共和制 & 民主制
\end{array}$$
アリストテレスにとって、最も理想的な政治体制は王制です。王制では1人の賢明な君主が治め、市民の善を最優先します。ただし、現実には、ポリスが神のように完璧な支配者を持つことは難しいため、王制の実現可能性は低いものとみなされます。加えて、王制が僭主制へ転落した場合には、これはあらゆる政体の中で最悪の状況です。
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