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ユダヤ教が規範宗教であり民族宗教であることの意味

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ユダヤ教は旧約聖書を啓典とする一神教

ユダヤ教(Judaism)の最大の特徴は、人格を持つ唯一絶対の神を信仰する一神教(monotheism)であるということです。ユダヤ教は一神教の起源であり、ユダヤ教を母体として発生したキリスト教(Christianity)やイスラム教(Islam)もまた同じ神を信仰します。ユダヤ教やイスラム教では神を「ヤハウェ(Yahweh)」と呼ぶのに対し、イスラム教ではアラビア語で「アッラー(Allah)」呼びます。

ユダヤ教のもう一つの特徴は、聖書(Holy bible)を信仰の基盤としている点です。旧約聖書(Old Testament)はもともとユダヤ教の啓典(神から与えられた啓示を記した書)ですが、キリスト教やイスラム教もまた旧約聖書(またはその一部分)を経典とみなしています。神が世界を作ったこと、アダムとイブの楽園追放、ノアの洪水、イスラエル人のエジプト脱出、モーセの十戒などはいずれも旧約聖書に記されている出来事ですが、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教では、これらを歴史的真実とみなします。

ユダヤ教とキリスト教、イスラム教はいずれも唯一絶対の神から与えられた啓典を信仰の基盤にしていることから啓典宗教(Abrahamic religioins)と呼ばれます。では、ユダヤ教はどのような点においてキリスト教やイスラム教と異なるのでしょうか。

$$\begin{array}{cccc}\hline
& ユダヤ教 & キリスト教
& イスラム教 \\ \hline
神の形態 & 一神教 & 一神教 & 一神教 \\ \hline
啓典 & 旧約聖書 & 旧約聖書と新約聖書 & 旧約聖書と新約聖書の一部およびコーラン \\ \hline
預言者 & モーセなど &
イエスなど & ムハンマドなど \\ \hline
救済の対象 & 集団(ユダヤ人) & 個人 & 個人 \\
\hline
信仰形態 & 外的規範の実践 & 内面の信仰 & 外的規範の実践 \\ \hline
\end{array}$$

1つ目の特徴は、キリスト教やイスラム教が個人救済の宗教であるのに対し、ユダヤ教は集団救済の宗教であるということです。ユダヤ教では救済はユダヤ人にのみ与えられるものとされます。後述するように、これはユダヤ教を生み出した古代イスラエルの民が経験した民族的苦難と関係があります。2つ目の特徴は規範(norm)の有無です。ユダヤ教やイスラム教は規範宗教であるのに対し、キリスト教には規範が存在しません。では、規範とは何であり、ユダヤ教が規範宗教であることとは何を意味するのでしょうか。

 

ユダヤ教は規範宗教

規範とは人の「外面的な行動」を規定するルールのことです。つまり、人に対して一定の行動を行うように「命令」したり、逆に、一定の行動を行わないように「禁止」するルールを規範と呼びます。規範は人間の「外面的な行動」を規定するルールであり、「内面的な思想」を規定するルールではありません。人が何を考えているかを外部から観察することはできないため、内面を規定するルールを設けても、それが守られているか(破られたか)判定することは不可能であり、したがってそれはルールとして機能しません。一方、人間の外面的な行動は観察可能であることから、行動を規定するルールであれば、それが守られているか(破られたか)判定することができます。したがって、規範は必然的に、外面的な行動を規定するものになります。規範は法や戒律であり、道徳ではないということです。

ユダヤ教が規範宗教であることとは、ユダヤ教徒であるためには神や聖書を信じるだけでは不十分であり、一定の法や戒律にもとづいて行動する必要があることを意味します。ユダヤ教徒として守るべき法や戒律が定められており、それが命じること、禁じることを目に見える行動として実践する(回避する)必要があるということです。ユダヤ教では宗教的な戒律と社会的な規範が一致します。

一方、キリスト教には規範が存在しません。キリスト教徒であるためには神や聖書、そしてキリストを内面で信仰していれば十分であり、キリスト教徒として守るべき法や戒律は存在しません。キリスト教は行動よりも内面の信仰心を重視する宗教です。キリスト教はユダヤ教の法や戒律を否定することで生まれた宗教だからです。ちなみに、イスラム教はユダヤ教よりも徹底した規範宗教です。仏教にも戒律がありますが、ユダヤ教やイスラム教の戒律とは性質が根本的に異なります。ユダヤ教以外の宗教における規範や戒律については場を改めて解説します。

 

ユダヤ教における法源:トーラーとタルムード

規範を定める際には根拠が必要であり、それを法源(sources of the law)と呼びます。ユダヤ教における法や戒律の主要な法源は「トーラー(Torah)」と「タルムード(Talmud)」です。

トーラーとは神が預言者モーセに対して与えた命令であり、旧約聖書に収められている最初の5つの書のことです(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)。トーラーは人が日常生活においてしたがうべき規範を事細かく規定しています。以下が具体例です。

例(トーラーが定める規範)
ユダヤ教徒は豚肉を食べないのは、トーラーにおいて規定されているからです。「豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである。」(レビ記11章)
例(トーラーが定める規範)
ユダヤ教徒の男性が割礼を行うのは、トーラーにおいて規定されているからです。「男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。」(創世記17章)
例(トーラーが定める規範)
ユダヤ教徒は土曜日の日没から日曜日の日没まで労働を行いません。トーラーにおいて禁じられているからです。「七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。」(出エジプト記20章)
例(トーラーが定める規定)
ユダヤ教徒が神に礼拝する際の奉納物はトーラーにおいて細かく規定されています。「あなたがたが彼らから受け取るべきささげ物はこれである。すなわち金、銀、青銅、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸、やぎの毛糸、あかね染の雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香のための香料、縞めのう、エポデと胸当にはめる宝石。」(出エジプト記25章)
例(トーラーが定める規定)
ユダヤ教徒はイスラエルの地に居住します。トーラーにおいて規定されているからです。「この日、主はアブラハムと契約をして言われた、この地を汝の子孫に与える、エジプトの川からかの大河ユーフラテスまで。」(創世記15章)

トーラーは唯一絶対の神が人に対して命じたものであるためグレーゾーンは認められず、守っているかどうかが常に厳密に判定されます。ただ、現実の生活では様々なことが起こるため、その行動がトーラーと整合的であるか判断し難い局面が必ず発生します。ただ、そのような場合においても、ユダヤ教徒は自分で線引きすることは許されていません。各自が勝手に線引きを行うと規範が空洞化してしまうからです。

そこで、ユダヤ教ではラビ(rabbi)と呼ばれる律法学者たちが議論を行い、トーラーの規定に照らし合わせて何が合法で何が違法であるか細かく線引きをし、それをタルムードと呼ばれる書としてまとめています。場所や時代が変われば以前には想定しなかったようなことが起こるため、律法学者は常にトーラーに新しい解釈を与える必要があります。現在、ユダヤ教徒の間で受け入れられているバビロニア・タルムード(Babylonian Talmud)は6世紀に完成したと言われており、これは6部構成63編からなる膨大な書です。

図:バビロニア・タルムード
図:バビロニア・タルムード

 

規範の実践はユダヤ人が集団救済を受けるための手段

ユダヤ教徒はなぜトーラーが命じる規範の実践を重視するのでしょうか。これは古代イスラエル人が経験した民族的苦難と深い関係があります。イスラエル人とは、ユダヤ人の祖先に対して神が与えた名称です。

旧約聖書によると、イスラエル人たちはもともとカナンの地(パレスチナ地方の古代の名称)に定住していましたが、紀元前17世紀頃、飢饉によりエジプトへの移住を余儀なくされます。彼らはエジプトにおいて約400年間、ファラオのもとで奴隷として酷使されます。旧約聖書の中に出エジプト記(Exodus)という書がありますが、これは神がモーセ(Moses)を指導者に選び、イスラエル人たちをエジプトから脱出させる話です。エジプト脱出後、イスラエル人たちはシナイ砂漠を40年間流浪することになりますが、その間、モーセはシナイ山において神からトーラを授かります。その後、イスラエル人たちはカナンの地に定住していた民族を虐殺し、紀元前11世紀にイスラエル王国(Kingdom of Islael)を建設します。ダビデ王(David)とソロモン王(Solomon)の時代に王国は全盛期を迎えますが、紀元前922年にソロモン王が亡くなると、政争により王国は北イスラエル王国(the northern Kingdom of Islael)と南ユダ王国(the southern Kingdom of Judah)に分裂します。北イスラエル王国は紀元前722年にアッシリアによって滅ぼされ、イスラエル人は捕虜としてペルシア地方へ連行されました(アッシリア捕囚:Assyrian captivity)。一方、南ユダ王国は紀元前586年に新バビロニアによって滅ぼされ、イスラエル人たちは捕虜としてバビロニアへ連行されます(バビロン捕囚:Babylonian captivity)。

図:バビロン捕囚
図:バビロン捕囚

周辺民族に支配される幾多の苦難を経験する中、イスラエル人たちは支配者に同化するのではなく、逆に、自らの民族的アイデンティティーを強化していきました。その中で発明されたのが「選民思想」です。まず、イスラエル人は自分たちを「神から選ばれた民」であると考えます。トーラーに以下の記述があります。

「主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。」(申命記7章)

イスラエル人が「神に選ばれた民」であるとは、イスラエル人だけが神と契約を結ぶことができることを意味します。トーラーとは、神とイスラエル人の間で交わされた契約文書です。ただし、これは対等な契約ではありません。神は万能の存在であり、すべての決定権は神のほうにあり、人は神が提示する契約に異論を唱えることはできません。ただ、神から与えられたトーラをきちんと守っていれば、イスラエル人はいつの日か苦悩から解放され、一転、世界の支配者となることができるとされています。トーラーに以下の記述があります。

「あなたがたがこれらのおきてを聞いて守り行うならば、あなたの神、主はあなたの先祖たちに誓われた契約を守り、いつくしみを施されるであろう。」(申命記7章)

ただ、モーセがシナイ山においてトーラーを授かり神と契約を結んだ後においてさえ、イスラエル人は数多くの民族的苦難を経験しました。万能であるはずの神が、自ら選んだイスラエル人を救わないのでは理屈が通りません。ただ、イスラエル人はそのように考えません。神は万能かつ絶対の存在であるため、人間の願いを聞き入れて動くことなどあり得ません。神が人によって動かされることはなく、すべての決定権は神にあります。

イスラエル人はなぜ救済されなかったのでしょうか。それは、彼らが神との契約を守らなかったからです。イスラエル人がトーラーを守らなかったことが神の怒りに触れたため、イスラエル王国は滅び、民族離散の憂き目にあったのだと彼らは考えます。イスラエル人にとって神様は寛容な存在ではなく、気にさわることがあれば人に苦難を与える理不尽な存在です。神を怒らせると不幸になる、だからこそ、これからは反省して、トーラーを守らなければならない。トーラーを守れば、神は契約を履行して、我々を救済してくれるはずである、と彼らは考えます。

ただ、彼らはいつまでたっても救済の確信を得ることはできません。どれほど善行を積めば彼らに神が救済を与えてくれるか、明確な基準がないからです。いくら善行を積んでも、それで十分であるという確信を得ることはできません。すべての決定権は神にあるからです。敬虔な信徒であるほど不安は強くなり、神を恐れ、深く反省し、より厳格にトーラーに従う、というループ構造になっています。以上がユダヤ教のロジックです

自分たちは神から選ばれた民であり、神はこのような苦難を私たちにわざわざ与えた。ユダヤ人は自身の苦難に意義を与えることで、民族的アイデンティティーを強化しました。以上が、ユダヤ教が規範宗教であるとともに民族宗教と言われるゆえんでもあります。

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