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写真の発明が印象派の画家たちに与えた影響

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写真の発明と普及

現在でこそ写真を撮る際にはレンズがついたカメラを使い、投影された像をフィルムやデジタルメディアに記録することが当たり前になっていますが、「ピンホールカメラ(pinhole camera)」と呼ばれる原始的なカメラにはレンズはついておらず、撮影機能もありませんでした。「ピンホール(pinhole)」とは針の先で開けたような小さな穴のことです。窓のない暗い部屋の壁に小さな穴をあけると、穴から入ってきた光が反対側の壁に像を作り出します。

図:カメラ・オブスキュラ
図:カメラ・オブスキュラ

この「ピンホール現象」はアリストテレスの時代、すなわち紀元前の古代ギリシアにおいてすでに知られていましたが、15世紀頃になると「カメラ・オブスキュラ(小さな暗い部屋)」と呼ばれる装置を通じて芸術家の間で広く利用されるようになります。彼らは写生を正確に行うために部屋型のピンホールカメラの中に入り、壁に映った景色を手描きで紙に写し取って下絵を作成していました(上図)。ルネサンス時代にレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)がカメラ・オブスキュラ利用していたという記録や、17世紀にオランダの画家フェルメール(Johannes Vermeer)が遠近法絵画を製作する際に利用していたという説もあります。

図:カメラ・オブスキュラ
図:カメラ・オブスキュラ

「カメラ・オブスキュラ(camera obscura)」は「カメラ(camera)」の語源であることが知られている一方で、機能面ではカメラの域にまで到達していません。鮮明な像を得るためにレンズを取り付けるなど様々な改造が行われたものの、投射された光の像を記録することができなかったからです。カメラの発明とは光の像を定着させる技術、すなわち撮影技術の発明に他なりません。

感光材料(光を感じて記録できる材料)による光の像の定着に初めて成功したのはフランスの発明家ニセフォール・ニエプス(Joseph Nicehore Niepce)であり、それは1820年代のことでした。彼はアスファルトを感光材料として用いることでカメラ・オブスキュラが映し出す像の撮影に成功しました。1826年に撮影された写真「ル・グラの窓からの眺め(View from the Window a Le Gras)」は現存する最古の写真の一つです(下図)。ただ、撮影に8時間以上の露出が必要であることなど、実用的なレベルに達していませんでした。

図:ル・グラの窓からの眺め
図:ル・グラの窓からの眺め

その後、フランス人のダゲール(Louis Jacques Mande Daguerre)が、銀メッキされた銅板を感光材料として用いる撮影技術「ダゲレオタイプ(daguerretype)」を発明します。銀板に写しだされた写真は鮮明で美しく、露出時間を30分にまで短縮することに成功します(下図)。初めて実用的な撮影技術が発明された年ということもあり、彼がダゲレオタイプを発表した1839年を写真発明の年とする見方もあります。

図:ダゲレオタイプによって1839年に撮影された写真
図:ダゲレオタイプによって1839年に撮影された写真

ただ、ダゲレオタイプには写真の焼き増しができないという欠点がありました。フィルムに相当する銅板の表面に像を直接焼き付けるため、複製ができなかったのです。この問題を解決したのがイギリスのウイリアム・タルボット(William Henry Fox Talbot)です。彼が1841年に発表した「カロタイプ(calotype)」は撮影時に「ネガ」を作り、それを感光材料を塗った印画紙に写すことで写真を作り出す技術であり、ネガポジ法の起源として知られています。カロタイプの発明により写真を容易に複製し、また拡大できるようになりました。

図:カロタイプによって1845年に撮影された写真
図:カロタイプによって1845年に撮影された写真

写真の大衆化を決定づけたのはカルテ・ド・ビジット(carte-de-visite)と呼ばれる写真入り名刺の流行です。写真が登場する以前の西欧社会では、社会的地位のある人にとって画家に肖像画を描いてもらうことは一つのステータスでした。また、ヨーロッパの貴族の間には社交用の名刺を交換する文化がありました。カメラの発明を背景に、肖像画と名刺の大衆化を推進したのがフランスの写真家アンドレ・ディスデリ(Andre Adolphe Eugene Disderi)です。彼は4つのレンズがついた特殊なカメラを使って1枚の写真乾板に8枚の写真を撮影する技術を発明し、1854年に特許を取得します。一度に多数の写真を撮影できれば大幅なコスト削減になりますし、レンズごとにカバーを外すタイミングを変えれば異なる構図の写真を一度に撮影することもできます。撮影した写真は切り分けられ、台紙に貼り付けて名刺として使われたり、肖像画として交換・収集の対象になるなど、幅広い階層の間で大ブームとなりました。今日で言うところのブロマイド写真やプリクラのようなものです。

図:1862年に撮影されたカルテ・ド・ビジット
図:1862年に撮影されたカルテ・ド・ビジット

 

印象派の特徴

18世紀の末、フランス革命によって絶対王政が崩れると、芸術においても貴族的で優雅なロココ主義(rococo)が衰退し、ルネサンスの古典美術や、さらにその源流である古代ギリシアやローマを見直そうという機運が高まります。このような懐古主義を背景に誕生したのが新古典主義(neoclassicism)です。華美な装飾に彩られたロココ主義とは対照的に、新古典主義では写実性が重視されます。画家たちは様々な色の絵の具を混ぜて対象の色を忠実に再現し、ブラシの跡が残らないように滑らかなタッチで絵とは思えないようなリアルな作品、完成度の高い作品の制作を志すようになります。モチーフとしては歴史的な題材や宗教的なテーマ、肖像画などが好まれました。

図:「ソクラテスの死」1787年・ルイ・ダヴィッド
図:「ソクラテスの死」1787年・ルイ・ダヴィッド

写実主義が依然としてメインストリームであった19世紀の後半、フランスのパリにおいて絵画を中心に印象派(impressionism)と呼ばれる芸術運動が始まります。新古典主義の画家たちがパレットの上で絵の具を混ぜてあらかじめ色を作ってから、滑らかな線で境界のはっきりした作品、精密かつ写実的な作品を描いていたのとは対照的に、印象派の画家たちは絵の具を混ぜずにそのままカンヴァスの上に置いていき、境界が曖昧な点画のような作品を描き始めました。モチーフはより現代的かつ自由になり、街や自然の風景画や日常の一コマなどが積極的に描かれるようになりました。

図:「印象・日の出」1872年・クロード・モネ
図:「印象・日の出」1872年・クロード・モネ

新古典主義の流れを汲む主流派の画家たちにとって印象派の作品群は技術的に未完成であり、モチーフは低俗で、侮蔑の対象でした。現在でこそクロード・モネ(Claude Monet)は印象派の巨匠として広く知られていますが、彼が1873年に「印象・日の出(Impression, Sunrise)」を発表した当時(上図)、この作品は主流派の画家たちから辛辣な批判を受けました。この作品こそが「印象派」の語源であることが知られていますが、現在の状況とは異なり、当時は「印象派」という表現が侮蔑的なニュアンスを含んでいたということです。

 

写真の発明と印象派の関係

電球が発明されたのは19世紀末になってからであり、初期の写真撮影は屋外の自然光に依存していました。太陽光は不安定で制御ができず、光が足りなければ写真は暗くなり、逆に光が多すぎると写真が白飛びしてしまいます。現在のデジタル一眼レフカメラには写真の明るさが適正になるように露出(取り込む光の量)を自動でコントロールする機能が搭載されていますが、当時のカメラにそのような機能はありません。露出は「シャッタースピード」と「絞り値」のバランスによって決まります。シャッタースピードは光を取り込む時間の長さであり、絞り値は単位時間あたりに取り込む光の量です。両者の最適なバランスを発見するために数多くの実験が行われました。

撮影技術の進歩と並行する形で、カメラや写真が社会に広く普及するようになります。先に述べたように、社会的地位のある人にとって画家に肖像画を描いてもらうことは一つのステータスでしたが、写真が普及したことにより、画家たちがわざわざ肖像画を描く必要性が薄れました。写真であれば長々とポーズをとる必要はないことに加え、安価であり、なおかつ正確だからです。仕事を失った画家たちの中には、写真に対してネガティブな印象を抱いた人は少なからずいたはずです。その一方で、写真に触発されて新たな表現領域を開拓しようと意気込む画家たちも現れました。

カメラや写真が大衆の間に普及するようになると、日常的な被写体をラフな雰囲気で早撮りするスナップショット(snapshot)の時代が始まりました。ただ、当時のカメラは機能的に優れていたとは言えず、適切な露出を得るためにシャッター速度を長くとる必要があったため、被写体のブレ、すなわちモーションブラー(motion blur)の発生が課題になりました。その一方で、交通機関などテクノロジーの発達により、都市における人々の動き、景色の変化が加速化する中、被写体の動きを表現するために意図的にモーションブラーを利用する撮影手法も確立されていきます。

図:モーション・ブラー
図:モーション・ブラー

写真から新たな創作意欲を刺激された画家たちは、それまでのようにスタジオに籠って歴史的な絵画や肖像画を製作するのではなく、屋外に出て自然光の下で絵を描くこと、日常的なモチーフをスナップショットのように描くことに興味を持ち始めます。ただ、当時の画家たちはパレット上で顔料と油を混ぜて絵の具を作ってから製作に取り掛かる必要があったため、スタジオの外で絵を描くことは実質的に不可能でした。絵の具の作成には時間がかかりますし、苦労して作った絵の具もすぐに乾いてしまうからです。ただ、1841年にジョン・ランド(John G. Rand)がチューブ絵の具(color tube)を発明して以降、画家たちは屋外で簡単に絵を描けるようになりました。印象派の画家ルノワール(Perre Renoir)は、「チューブ絵の具が発明されなかったら印象派も生まれなかった」とまで評しています。

図:チューブ絵の具
図:チューブ絵の具

いずれにせよ、太陽光は時間や大気の状態によって刻々と変化し、それにともない対象の色彩やコントラスト、雰囲気もまた大きく変化していきます。画家たちは急速に変化する光を捉えるため、パレットの上で色を混ぜてから描き始めるのではなく、カンバスの上に色を並べるようにして素早く描いていきました。また、時間をかけて細部を観察しながら写実的に描くのではなく、時間とともに移ろいゆく日常の情景の瞬間の姿を印象として捉え、モーションブラーのような表現を用いながら全体を全体として描いていきました。

最後に印象派の特徴を体現した作品を紹介して終わりたいと思います。モネは自然光の効果を研究するために同じ場所に座って一日中絵を描き、膨大な連作を残しています(下図)。

図:「ルーアン大聖堂(朝)」1892-1894年・クロード・モネ
図:「ルーアン大聖堂(朝)」1892-1894年・クロード・モネ
図:「ルーアン大聖堂(陽光)」1893年・クロード・モネ
図:「ルーアン大聖堂(陽光)」1893年・クロード・モネ
図:「ルーアン大聖堂(昼下り)」1893年・クロード・モネ
図:「ルーアン大聖堂(昼下り)」1893年・クロード・モネ
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