経験的確率
確率に関するもう 1 つの古典的な考え方はリヒャルト・フォン・ミーゼス(Richard von Mises)によって提唱されたものです。例として、「1 つのサイコロを 1 回投げる」という試行において、「奇数の目が出る」という事象が起こる確率を考えましょう。ただし、先験的確率の場合とは異なり、「すべての目が同じ程度の確かさで出る」ことを仮定しないものとします。
サイコロ投げの結果はランダムネスによって支配されているため、サイコロを 1 回投げた場合に出る目を完全に予測することはできませんが、サイコロ投げを何度も繰り返してその結果を記録していくと、奇数が出る回数と偶数が出る回数がほぼ同じになることに気付くでしょう。つまり、何度でも繰り返すことができる試行に関しては、各回の結果がランダムネスによって支配される場合でも、同じ試行を何度も繰り返した上でその結果を総体的に観察すると、ランダムネスの中に法則性が見つかることがあります。
同一条件のもとで何回でも繰り返すことができ、なおかつ、各回においてどの標本点が起こるかが互いに干渉しないような試行を想定します。このような試行を\(n\)回繰り返したときに、事象\(A\)に属する標本点が\(x\)回出た場合、それらの回数の比\(\frac{x}{n}\)を相対頻度(relative frequency)と呼びます。実験回数\(n\)を限りなく増やしたときに相対頻度\(\frac{x}{n}\)がある値に限りなく近づくならば、すなわち、ある値\(\alpha \in \mathbb{R}\)が存在して、\begin{equation*}
\lim_{n\rightarrow \infty }\frac{x}{n}=\alpha
\end{equation*}という関係が成り立つならば、その現象が起こる確率を\(\alpha \)と定めるのがミーゼスによる確率の考え方です。これを経験的確率(empirical probability)や頻度説(frequency theory)などと呼びます。
\Omega =\{1,2,3,4,5,6\}
\end{equation*}です。例えば、\(A=\{1,3,5\}\)という事象は「奇数の目が出る」という現象に相当します。この実験を 3 回繰り返したときに、そのうち 1 回だけ奇数の目が出たならば、事象\(A\)の相対頻度は\(\frac{1}{3}\)です。3 回では少ないので、同様の実験を 100 回繰り返したときに、そのうち 46 回だけ奇数の目が出たならば、事象\(A\)の相対頻度は\(\frac{46}{100}\)です。さらに同様の実験を限りなく繰り返したときに、仮に事象\(A\)の相対頻度が\(\frac{1}{2}\)に限りなく近づくならば、事象\(A\)の経験的確率は\(\frac{1}{2}\)となります。
経験的確率の利点と欠点
経験的確率は実際の実験結果に裏付けられた値であることから、先験的確率で問題となった「同様に確からしい」という仮定を必要としないという利点があります。
経験的確率にもとづいて試行を繰り返し行う場合には、試行を何回繰り返せば十分であるかという明確な基準がありません。最近はコンピュータを手軽に使えるため、膨大な回数の試行を仮想的に繰り返すことができますが、それでも無限に行うわけではなく、やはり回数をあらかじめ決める必要があります。また、相対頻度が一定の値に限りなく近づくことを問題とするとき、どの程度のばらつきであれば「限りなく近づいている」と言えるのか、その明確な基準もありません。そのため、許容されるばらつきの水準によって結果の解釈が変わってしまいます。また、より単純な問題として、何度も繰り返すことができないような試行については経験的確率を求めることはできません。
事象の経験的確率を求める際には同じ試行を同一の条件のもとで繰り返し行う必要がありますが、この「同一の条件」には注意が必要です。そもそも、仮に寸分違わぬ条件のもとで試行を繰り返すことができるならば、毎回の結果も同じになるはずです。だが、実際にはそのような条件をクリアすることは不可能です。コイン投げという単純な試行においても、コインを投げる力、大気の状態、コインが落ちる場所の状態など、様々な条件が結果に影響を及ぼします。さらに、実験者が気づいていないような条件があるかもしれません。それらの条件を含めて毎回寸分違わぬ環境を整えることは不可能です。見方を変えると、経験的確率の核心は、環境を完全にコントロールできないがゆえに生じる結果のランダム性を観察を通じて分析する点にあると言えます。
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