生産者理論
モノやサービスを生産する主体を生産者(producer)と呼びます。生産者理論(producer’s theory)とは生産者による意思決定を分析する理論です。生産者理論では生産者による意思決定を描写するモデルを構築し、そのモデルに対して操作を加えたときに何が起こるかを観察することを通じて、生産者による意思決定に関する知見を得ようとします。では、生産者の意思決定をどのようにモデル化すればよいでしょうか。
仮にすべての生産者が好きなものを好きなだけ生産できるならば、生産者が何をどれくらい生産するかという問題をわざわざ取り上げる必要はありません。実際には世の中に存在する資源は有限であり、加えて、生産者は技術水準や資本をはじめとする様々な制約に直面しているため、好きなものを好きなだけ生産できるわけではありません。だからこそ生産者が何をどれくらい生産するのかという問題について考える意味があります。生産者理論は、様々な制約に直面する生産者がどのような意思決定を行うかを明らかにしようとします。
生産者が何をどのように選択するかを分析する前に、生産者が直面する制約と、その制約のもとで生産者に与えられる選択肢を明らかにする必要があります。そこで、生産者理論ではそれぞれの生産者が直面する選択肢からなる集合を生産集合(production set)と呼ばれる概念を用いてモデル化します。
続いて問題になるのは、選択肢の集合を与えられた生産者がどのように意思決定を行うかという点です。通常、生産者理論では、生産者は自身が直面する選択肢集合の中から、自身が得られる利潤を最大化するような選択肢を選ぶものと仮定します。以上の仮定のもとで、生産者は具体的にどのような選択を行うのか(最適化問題)、また、外生的な条件が変化したときに生産者の選択はどのように変化するのか(比較静学)、などを考察することになります。
生産者の単位
モノやサービスを生産する主体として生産者を定義しましたが、現実の経済には様々な種類の生産者が存在します。典型的な生産主体は企業ですが、農家などの家計や、複数の企業から構成される企業グループなどもまた生産主体になり得ます。
生産者の範囲を決定する上で重要なことは、それが生産に関する自立的な意思決定を行う最小単位であるということです。例えば、ある企業グループに属する個々の企業が独自の判断にもとづいて生産活動を行うのであれば、個々の企業が生産者の単位となります。一方、企業グループが全体で1つの集団として意思決定を行うのであれば、企業グループが生産者の単位となります。分析対象や目的に応じて生産者の単位を決めることが重要です。
商品
現実の社会には所有権や使用権を売買できないモノやサービスが存在します。具体例を挙げると、大気や自然環境など物理的に売買が困難であるものや、麻薬や奴隷など法や慣習によって売買が禁止されているものがあります。また、共産主義体制のもとでは生産手段の私有が認められないなど、政治体制や歴史に起因する事例もあります。いずれにせよ、生産者理論においては、所有権や使用権を自由に売買できるモノやサービスだけを生産者による投入ないし生産の対象とし、そのような環境を市場経済(market economy)と呼びます。市場経済において生産者が売買するモノやサービスを商品(commodities)や財(goods)と呼びます。
自由に売買できるモノとサービスだけを考察対象とする立場とは別に、世の中に存在するあらゆるモノとサービスには所有権や使用権が定められており、それらを売買する市場が存在するものと仮定することもあります。このような仮定を市場の普遍性(universality of market)と呼びます。市場の普遍性の仮定のもとでは、現実世界に存在するあらゆるモノとサービスが消費者による選択の対象となります。
市場の普遍性の仮定は、市場メカニズムが社会的に効率的な結果を実現することを理論的に保証する上で重要な役割を果たします。逆に言えば、現実世界では市場の普遍性が成り立たないため、市場メカニズムが実現する結果は社会的に効率的であるとは限らないということです。この論点については、後に市場均衡について学ぶ際に詳しく解説します。
商品ベクトル
現実の世界には無数の商品が存在しますが、厳密には、世の中に存在する商品の種類は有限です。また、仮に商品の種類が無限である場合でも、生産者が実際に認識し、投入または生産できる商品の種類は有限です。したがって、生産者の意思決定を分析する際には、市場経済に有限\(N\)種類の商品が存在するものと仮定しても一般性は失われません。
市場経済において取引される\(N\)種類の商品の数量の組み合わせを表すベクトルを、\begin{equation*}y=\left(
\begin{array}{c}
y_{1} \\
\vdots \\
y_{N}\end{array}\right) \in \mathbb{R} ^{N}
\end{equation*}で表記し、これを商品ベクトル(commodity vector)と呼びます。商品ベクトル\(y\)は\(N\)次元ベクトルであり、その第\(n\)成分である\(y_{n}\)は\(n\)番目の商品の数量を表す実数です。\(n\)番目の商品を商品\(n\)(commodity \(n\))や財\(n\)(good \(n\))などと呼びます。
商品ベクトルを列ベクトルとして定義しましたが、多くの場合、スペースの制約を考慮した上で、これを行ベクトル\begin{equation*}
y=\left( y_{1},\cdots ,y_{N}\right) \in \mathbb{R} ^{N}
\end{equation*}として表記することもあります。本来、列ベクトルと行ベクトルは数学的には互いに区別されるべき概念ですが、ここでは特に断りのない限り両者を同一視し、両者は交換可能であるものとします。
\(N\)種類の商品の数量の組み合わせは無数に存在するため、商品ベクトルは無数に存在します。すべての商品ベクトルからなる集合をユークリッド空間\begin{equation*}\mathbb{R} ^{N}\end{equation*}とみなし、これを商品集合(commodity set)や商品空間(commodity space)などと呼びます。
\end{equation*}であり、これは2次元平面に相当します。
\end{equation*}であり、これは3次元空間に相当します。
生産計画
生産者は原料や材料などの生産要素(input)を市場で購入し、それらを利用して新たに生産物(output)を作り出し、それを市場で販売します。つまり、生産要素や生産物はいずれも市場において売買される商品であるため、生産活動とは商品から商品を作り出す活動、すなわち商品を別の商品へ変換する活動であると言えます。したがって、生産者にとっての選択肢は、どの商品をどれだけ投入し、どの商品をどれだけ生産するか、その組み合わせに相当する生産計画(production plan)として表現可能です。具体的には、個々の生産計画は商品ベクトル\begin{equation*}
y=\left( y_{1},\cdots ,y_{N}\right) \in \mathbb{R} ^{N}
\end{equation*}として定式化されます。\(y\)のそれぞれの成分\(y_{n}\ \left( n=1,\cdots ,N\right) \)は任意の実数を値としてとりますが、これは生産計画\(y\)を実行した場合の商品\(n\)の純産出量(netput)ないし純供給量(net supply)に相当します。つまり、\(y_{n}>0\)であることは\(y\)を実行することにより商品\(n\)が\(y_{n}\)だけ増加することを意味し、\(y_{n}<0\)であることは\(y\)を実行することにより商品\(n\)が\(y_{n}\)だけ減少することを意味し、\(y_{n}=0\)であることは\(y\)を実行しても商品\(n\)は増減しないことを意味します。
\left( y_{1},y_{2}\right) \in \mathbb{R} ^{2}
\end{equation*}として表現されます。\(3\)単位の商品\(1\)を原材料として投入すれば\(1\)単位の商品\(2\)を産出できるのであれば、そのような生産計画は、\begin{equation*}\left( -3,2\right)
\end{equation*}と表現されます。生産計画\(\left( -3,2\right) \)を出発点として原材料の投入量を\(2\)倍にすれば生産物の産出量も\(2\)倍になるのであれば、そのような生産計画は\begin{equation*}\left( -6,4\right)
\end{equation*}と表現されます。
\left( y_{1},y_{2},y_{3}\right) \in \mathbb{R} ^{3}
\end{equation*}として表現されます。\(3\)単位の商品\(1\)と\(4\)単位の商品\(2\)を原材料として投入すれば\(6\)単位の商品\(3\)を生産できるのであれば、そのような生産計画は、\begin{equation*}\left( -3,-4,6\right)
\end{equation*}と表現されます。生産計画\(\left( -3,-4,6\right) \)を出発点として原材料の投入量を\(2\)倍にすれば生産物の産出量も\(2\)倍になるのであれば、そのような生産計画は、\begin{equation*}\left( -6,-8,12\right)
\end{equation*}と表現されます。
ある生産計画\(y\)を実行する際に、そのプロセスにおいて同一の商品\(n\)が生産要素であるとともに生産物であるような状況は起こり得ます。そのような場合、生産計画\(y\)を実行した結果として、商品\(n\)の生み出される量が使われる量よりも多ければ\(y_{n}>0\)となり、逆に使われる量のほうが多ければ\(y_{n}<0\)となり、商品\(n\)がトータルで増減しなければ\(y_{n}=0\)となります。\(y_{n}\)を商品\(n\)の産出量とは呼ばず、あえて「純」産出量や「純」供給量などと言う理由は以上の通りです。ちなみに、\(y_{n}>0\)の場合の\(y_{n}\)を生産量(output)と呼び、\(y_{n}<0\)の場合の\(y_{n}\)を投入量(input)と呼ぶこともできます。
&=&\left( 100-5,-10,-1\right) \\
&=&\left( 95,-10,-1\right)
\end{eqnarray*}と表現されます。
&=&\left( -100,50-50,50\right) \\
&=&\left( -100,0,50\right)
\end{eqnarray*}と表現されます。一方、自家生産した麺の半分を通販で売り、残りの半分を店内でうどんとして提供するのであれば、この生産計画は、\begin{eqnarray*}
y^{\prime } &=&\left( y_{1}^{\prime },y_{2}^{\prime },y_{3}^{\prime }\right)
\\
&=&\left( -100,50-25,25\right) \\
&=&\left( -100,25,25\right)
\end{eqnarray*}と表現されます。
生産集合
現実の生産者は様々な制約に直面しているため、商品空間\(\mathbb{R} ^{N}\)に属するすべての商品ベクトル、すなわち生産計画を自由に選択できるわけではありません。このような事情を踏まえた上で、生産者が選択可能な生産計画からなる集合を生産集合(production set)や生産空間(production space)などと呼びます。生産集合を\(Y\)で表記する場合、明らかに、\begin{equation*}Y\subset \mathbb{R} ^{N}
\end{equation*}という関係が成り立ちます。つまり、生産集合は商品集合の部分集合です。生産者にとって生産計画\(y\in \mathbb{R} ^{N}\)が選択可能であるならば、すなわち、\begin{equation*}y\in Y
\end{equation*}が成り立つ場合、\(y\)は実現可能(feasible)であると言います。逆に、生産者にとって生産計画\(y\in \mathbb{R} ^{N}\)が選択不可能であるならば、すなわち、\begin{equation*}y\not\in Y
\end{equation*}が成り立つ場合、\(y\)は実現不可能(unfeasible)であると言います。以降において生産計画(production plan)や生産ベクトル(production vector)などと言うとき、特に断りのない場合には、それは実現可能な生産計画を指します。
生産集合\(Y\subset \mathbb{R} ^{N}\)の境界を変換フロンティア(transformation frontier)と呼び、これを、\begin{equation*}Y^{f}
\end{equation*}で表記します。変換フロンティアの重要性については後ほど解説します。
Y=\left\{ \left( y_{1},y_{2}\right) \in \mathbb{R} ^{2}\ |\ y_{1}\leq 0\wedge y_{2}\leq \left\vert y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\right\}
\end{equation*}で与えられているものとします。これは下図のグレーの領域として図示されます(境界を含む)。
\(y_{1}\leq 0\)より商品\(1\)は生産要素としてのみ使われる商品であり、それを好きなだけ投入できる一方で生産することはできません。商品\(1\)を\(y_{1}\)だけ投入すると商品\(2\)を最大で\(\left\vert y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\)だけ生産できます。同時に、\(\left\vert y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\)以下の任意の\(y_{2}\)も選択可能であるため、生産者は商品\(2\)を制限なく廃棄できます。商品\(2\)を投入することもできますが、そこから商品\(1\)を生産することはできません。
Y=\left\{ \left( y_{1},y_{2},y_{3}\right) \in \mathbb{R} ^{3}\ |\ y_{1}\leq 0\wedge y_{2}\leq 0\wedge y_{3}\leq \left\vert
y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\left\vert y_{2}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\right\}
\end{equation*}で与えられているものとします。\(y_{1}\leq 0\)かつ\(y_{2}\leq 0\)より商品\(1,2\)は生産要素としてのみ使われる商品であり、それらを好きなだけ投入できる一方、それらを生産することはできません。生産要素\(1,2\)を\(\left( y_{1},y_{2}\right) \)だけ投入すると、商品\(3\)を最大で\(\left\vert y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\left\vert y_{2}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\)だけ生産できます。同時に\(\left\vert y_{1}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\left\vert y_{2}\right\vert ^{\frac{1}{2}}\)以下の任意の\(y_{3}\geq 0\)も選択可能であるため、生産者は生産した商品\(3\)を制限なく廃棄できます。商品\(3\)を投入することもできますが、そこから商品\(1,2\)を生産することはできません。
生産者に課される物理的な制約
生産者は物理的な制約(physical constraint)に直面します。
\end{equation*}が課されます。1日は24時間であり、それ以上増やすことは物理的に不可能だからです。
\end{equation*}が課されます。つまり、\(y_{n}\)は非負の整数を値としてとり得ます。この例のように、非負の整数単位でのみ生産ないし消費可能な商品を非分割財(indivisible commodity)と呼びます。他方で、任意の実数量で生産ないし消費可能な商品を分割財(divisible commodity)と呼びます。
生産者に課される制度的な制約
生産者は制度的な制約(institutional constraint)に直面します。つまり、社会において運用されている制度や法体系が原因で、生産者が選択可能な生産ベクトルが制限されることがあります。
\end{equation*}が課されます。加えて、1日の労働時間は8時間以内でなければならないという法律が存在するならば、\begin{equation*}
-8\leq y_{n}\leq 0
\end{equation*}という制約が新たに加わります。
特定の制度の有無が生産行動に与える影響に興味がある場合には、制度的な制約を明示的に考慮した生産集合を利用することで分析目的を達成することができます。ただ、生産者理論の一般的な分析においては、制度的な制約を明示的に考慮した生産集合を利用することは稀です。
生産者に課される技術的な制約
生産者がある時点において保有している、生産要素の投入量と生産物の産出量の関係についての知識の総体を技術(technology)と呼びます。つまり、技術とは、どの生産要素をどれだけ投入すれば、どの生産物をどれだけ算出できるかに関する知識の総体です。生産者は技術的な制約(technological constraint)に直面します。つまり、生産者が選択可能な生産ベクトルは、その時点において生産者が保有する技術のもとで実現可能なものに限定されるということです。
これまで解説したように生産者は様々な種類の制約に直面していますが、生産者理論ではその中でも技術的な制約を重視します。つまり、技術的な制約を考慮してもなお選択可能な消費ベクトルからなる集合として生産集合を定義するということです。詳細は後述します。
生産者に課される時間的な制約(長期と短期)
生産者は何らかの期間(1年・5年など)をあらかじめ見据えた上で、その期間内での生産計画を立案します。生産者が生産計画を立案する際に将来を見据える期間を計画期間(planning horizon)と呼びます。
多くの場合、生産活動や、その前段階として行われる設備投資には一定の時間が必要です。したがって、ある生産ベクトルが技術的には選択可能であっても、限られた計画期間の中では、その生産ベクトルが選択可能ではないという事態は起こり得ます。生産者は時間的な制約(time constraint)に直面しているということです。
以上の例から明らかであるように、ある生産物の産出量が正になり得るかどうかは、生産期間と計画期間の長さに依存します。生産期間が計画期間よりも短ければ問題としている生産物の産出量が正であるような生産ベクトルは実現可能です。逆に、生産期間が計画期間よりも長ければ問題としている生産物の産出量が正であるような生産ベクトルは実現不可能です。
以上の例から明らかであるように、ある生産要素の投入量が負になり得るかどうかは、投資期間と計画期間の長さに依存します。投資期間が計画期間よりも短ければ問題としている生産要素の投入量が負であるような生産ベクトルは実現可能です。逆に、投資期間が計画期間よりも長ければ問題としている生産要素の投入量が負であるような生産ベクトルは実現不可能です。
すべての生産要素の投入量を変更できるほど長い計画期間を長期(long-run)と呼び、固定生産要素が少なくとも1種類存在するほど短い計画期間を短期(short-run)と呼びます。生産者理論においては、生産者が直面する時間的な制約を考慮するために、長期と短期のそれぞれの場合について考察を行います。
演習問題
Y=\left\{ \left( y_{1},y_{2}\right) \in \mathbb{R} ^{2}\ |\ y_{2}\leq -y_{1}\right\}
\end{equation*}で与えられているものとします。生産集合を図示した上で、この生産者はどのような技術を持っているか説明してください。
Y=\left\{ \left( y_{1},y_{2},y_{3}\right) \in \mathbb{R} ^{3}\ |\ y_{1}\leq 0\wedge y_{2}\leq 0\wedge y_{3}\leq \min \left\{
2\left\vert y_{1}\right\vert ,\left\vert y_{2}\right\vert \right\} \right\}
\end{equation*}で与えられているものとします。この生産者はどのような技術を持っているか説明してください。
y_{1}^{2}+y_{2}^{2}\right) ^{\frac{1}{2}}
\end{equation*}という関係が成り立つものとします。生産集合\(Y\)を定式化してください。その上で、生産要素の投入量の組合せ\(\left( y_{1},y_{2}\right) \)が\begin{equation*}y_{1}=y_{2}=-5
\end{equation*}を満たす場合、実現可能な産出量の組合せ\(\left( y_{3},y_{4}\right) \)をすべて特定してください。
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